あの人に初めて逢った時、その姿に息を飲んだ。
色素が抜け落ちてしまったかのような白い髪と肌。
そして燃えるルビーのような瞳。
怖かった。
怖くて、綺麗だと思った。
あれから十年。
オレは大人になり、あの人よりも背が高くなった。
でも、あの人は変わらない。
出会った時のまま。
なにひとつ変わらない。
あの人の時間は止まったまま。
『そう……叶うのならば』
絶望の淵にあったオレに差し伸ばされた手。
『どうか君が……私の――――』
それは
救いの手だったのか
滅びの手だったのか
今は、差し出された貴方の手を取った自分の手を合わせ、オレは祈る。
どうか、貴方が…………
Priere
「皆さん、コンニチハ〜」
昼食を済ませたギルバート、オズ、アリスの三人が食後のお茶を飲んでいると突然、部屋の片隅に置いてあるサイドボードの扉が開き、爽やかなまでの笑顔でブレイクが現れた。
「!」
「わ、ブレイク」
「……また、お前はそんな所から……」
多少、驚きはするが、毎回のことにすっかりと慣れてしまった三人。
「全く……どうして普通に玄関から入ってこれないんだ?」
呆れたようにブレイクを見遣り、ギルバートが溜息を洩らす。
ブレイクはサイドボードやテーブルの下から突然、現れたり、消えたりする。
一体、どんな手品を使っているのか、未だ全くもって謎であり、行動もさることながら人体そのものが不思議だった。
「まぁまぁ、そんな事はどうでもいいから、この私が来たんですからさっさとお茶を出しなさいヨ。あ、ケーキも忘れずにネ」
勝手に訪問しておきながら、当然のようにお茶とケーキの催促をするブレイク。
「そんなものはない!」
「昨日オズ君の為に作ったタルトがまだ半分残ってるデショ」
「なっ、何で知ってるんだ!!」
「ふふふ〜どうしてでしょうネェ〜」
楽しげに不気味な含み笑いをするブレイク。
そんな彼への謎がますます深まり、ギルバートは言葉を失い、顔を引きつらせた。
「ブレイクって昨日此処に来たっけ?」
そんなギルバートとは対照的に、不思議そうにオズが尋ねる。
「さぁ〜それよりもオズ君。今夜は隣町でお祭りがあるらしいデスヨ。どうです、気分転換にでも行きませんカ?」
しかし、ブレイクはあっさりとオズの問いを避わし、別の話を持ち出した。
「え?お祭り?」
「はい。広場では他国の催し物などが開かれ、結構楽しいそうですヨ」
「わー!行きたい!」
ブレイクに聞いたことなどすっかりと忘れ、それ以上に魅力的な話にオズは幼い子供のように顔を綻ばせた。
「オイ、オズ。祭とは何だ?」
自分の知らない言葉に、アリスが何処か不機嫌そうに聞いてきた。
「祭りって言うのはね、人が沢山集まって、色んなお店とか出て、踊りや演劇、音楽なんかが披露されてて……とにかく、凄く楽しい事だよ。そうだ。美味しい物も沢山あるよ」
「美味しいモノ!?肉か!肉が沢山あるのか!?」
祭りの意味よりも“美味しい物”に敏感に反応して、アリスが瞳を輝かせながら身を乗り出してきた。
「そ、そうそう。美味しいお肉も沢山あるよ。……多分」
「それを早く言わぬか!!さっさと行くぞ!!」
「まだだよ、アリス。お祭りは夜にあるらしいから」
「夕方にお迎えに上がりますヨー。パンドラからも護衛として同行しますので」
「え〜護衛なんていらないよ」
「そういう訳にもいかないんデスヨ。街と祭りの案内も兼ねて護衛させて頂きますカラ」
「ん〜わかった。あ〜でも、楽しみだなぁ。俺、祭りって知識としては知ってるけど、実際に行ったことないから」
「それなら今夜は楽しんできてくだサイ」
言って、無邪気に喜ぶオズ達にブレイクは思わず目を細めた。
「お菓子作りの腕前は相変わらずのようデスネ」
催促したギルバートの手作りのタルトを味わい、ブレイクがにっこりと微笑みながら言った。
「お菓子だけじゃないよ。ギルは料理も上手くて、俺が食べたいって言う物何でも作ってくれて、ホント凄い美味しいんだ」
まるで自分の事のように自慢げにオズが言うと、少し照れくさそうにしながらも嬉しそうにギルバートが頬を緩めた。
「まぁ、人間何かしら一つくらいは取り得があるってもんデス」
「なんだと!!」
ブレイクの毒舌に眦を釣り上げるギルバート。
「昔はホントに素直で可愛い子だったのに、なんでこんなにヘタレで怒りっぽい子になっちゃったんでしょうね〜」
肩を竦め、わざとらしく嘆くブレイク。
「だっ!誰のせいだと思ってるんだ!お前がいい加減な事ばかりオレに吹き込むからっ!」
「オヤ?私のせいデスカ?私は君が悩んでいる事に助言してきただデスヨ〜」
「え?何々?ブレイクってギルにどんな助言したの?」
「そうデスネ〜例えば」
「ブレイク!余計な事は言わなくていいっ!!」
「え〜知りたい〜」
「クスクス。今度、ゆっくりと教えて差し上げマスヨ。オズ君。イロイロとネ」
「うん」
「本当に素直で可愛い子でしたよ〜もう少し私好みに調教出来たらよかったんですがネ〜」
「うるさい!黙れ!」
何時も自分の言葉に子供のように素直に反応して、感情を出すギルバートが可愛くてブレイクはこみ上げる笑いを必死に堪え、肩を震わせた。
そんなブレイクの様子にギルバートはますます顔を真っ赤にして怒りを露わにしていた。
西の空に陽が傾き、空が紫色に染まり始めた頃、ブレイクとパンドラの構成員がオズ達の許にやってきた。
祭見物と食べ物。
目当てはそれぞれ違うが、楽しみに待っていたオズとアリス。
「早く行くよ!ギル」
「わかった、わかった」
急かすオズ達を追い掛けようとした時、ギルバートはあることに気付き、足を止めた。
「どうしたの?ギル」
「悪い……オズ。後から追い掛けるから先に行っててくれるないか」
「え?何?どうしたの?」
「ちょっと、急用を思い出したんだ。直ぐに探して合流するから」
「うん……わかった。じゃあ、後でね」
少し寂しげにそう言うとオズは踵を返し、アリスと護衛のパンドラの構成員と共に街中にと消えて行った。
オズの姿が見えなくなるまで見送ると、ギルバートはくるりとブレイクに振り返り、硬質な声色で尋ねた。
「ブレイク……此処に来る前に何かあったのか?」
「はい?」
不意に問われ、何事かと思いながらギルバートの視線を辿ると自分の首許に向けられていることに気付く。
「あぁ、コレですか。祭りなんて人が集まる日ですから、ちょっと節操のない蟲がいましてネェ。何時もの事ですから、お気になさらず」
ギルバートが気付いたのはブレイクの首元に巻かれたスカーフに血が付いていたことだった。
上手く隠してはいたが、シルクの白いスカーフに赤い鮮血が滲んでいるのをギルバートは見逃さなかったのだ。
ブレイクはチェインの力を使うと身体に負担を掛けるようで、吐血することがあった。
平静を装ってはいるが、顔色も悪い。
無理をしているに違いない。
「少し、部屋で休んでいけ」
「大丈夫デスよ。護衛の構成員を連れて来ただけですから、私はこれで帰りマス」
「いいから!来い!」
「ちょ、ギルバート君?」
ブレイクの腕を掴み、ギルバートは半ば無理矢理、自分の部屋に連れて行った。
部屋に入るとブレイクをソファに座らせ、ギルバートは直ぐにキッチンに向かい、デザート皿に乗せた艶やかなチョコレートがコーティングされたケーキを持ってきた。
「これはまた美味しそうデスネ〜。今日のオズ君のデザートはチョコレートケーキですか?」
「……違う……これはお前にだ」
ぶっきらぼうにそう言いながらギルバートがケーキを切り分ける。
「私に?どういう風のふきまわしですか?もしかして新手の嫌がらせとか?」
「誰が嫌がらせの為にわざわざこんなもん作るか!いいから黙って食え!」
ギルバートが自分の為にこのお菓子を?
ブレイクは予想外の事に少し驚きながらも、好物のケーキに手を伸ばした。
「美味しい。チョコレートの甘さと苦味のバランスが最高ですネ。まるで君のようデス」
言って、ブレイクは片眼だけの紅い目を弓月の形に細めた。
「なんだそれは?」
意味のわからない評価に訝しげにブレイクを見遣ると、柔らかく微笑まれ、ギルバートは思わず、視線を外した。
「……」
その笑顔が余りにも嬉しそうで、胸が熱くなった。
「十年なんて……長いようで短いですね。あっという間だ」
ふと、ブレイクが呟いた。
「君がオズ君を助けるのが先か、私のタイムリミットが先かなんて思ってましたが、君の方が先でしたね」
「……!」
『本当に……』
『私の願いを叶えてくれる?』
おとされた深淵。
狂った世界の壊れたおもちゃ箱の中で彼女から託された願い――――――
だけど、私はまだ……
「でもね、最近死ぬ事が少しだけ嫌だなぁって思い出したんですヨ。死んだら、こんな美味しい君の手作りケーキを食べられなくなると思うと非常に残念ですからネェ」
「……!」
「どうして君がそんな泣きそうな顔をするんですか?」
どうして……
どうして、お前はそんな事を笑って言える。
どうして、そんな哀しい事を……!
「不安や心配でそんな顔をするのはオズ君の為だけにしなさい。私なんかの為に…」
「お前はズルイ!」
「ギルバート君?」
「十年……十年も傍にいるのに……お前は少しも自分の事を……オレの気持ちだって…!」
「ギルバート君?」
「どうせオレは頼りないし、お前にとったらガキでヘタレだよ!!オレはオズの後を追うから着替えてくる!食ったらさっさと帰れ!馬鹿ブレイク!!」
いたたまれなくなり、ギルバートは叫ぶようにそう言うと隣の部屋に駆け込むように入って行った。
「ブレイクの馬鹿……野郎……」
あのまま、ブレイクの傍にいたら苦しくて泣いてしまいそうだったから……
「やれやれ……自分から連れ込んでおいて、逆ギレですか?」
『十年も傍にいるのに‥!』
ギルバート君……私の事なんか気に掛けないで下さい。
私は己の過去の罪を償う為、私の願いを聞き届けてくれた彼女から託されたものを叶える為に生かされているだけなのですから……
そう、私は生きる為の理由があり、生かされているだけ。
そう思って生きてきた。
でも、私はまだ彼女の願いを叶えていない。
だから、まだ死ねない。
でもね……
最近はそれだけではなくなってきたんですよ。
君と出逢ってから、私はもう少し生きていたいと思うようになってしまっているんです。
ギルバート……
私に優しくなんてしないでください。
私にはそんな価値はないのだから。
「ブレイク?」
着替えを済ませ、気持ちを落ち着かせてから暫くして戻ってみると其処にブレイクの姿がなかった。
しかし、ケーキはしっかりと平らげたようで、デザート皿に乗せていたチョコレートのケーキは綺麗になくなっていた。
「本当に帰ったのか……」
感情的になって「帰れ」と行ってしまったが、身体は大丈夫なのだろうかと後悔するギルバート。
ふと、視線を落とすとソファに幾つかの小さな飴が残されていた。
ブレイクが落としていったのだろう。
ギルバートは、飴を一つ手に取ると包み紙を外し、そっと口に入れた。
優しい甘さが口の中に広がる。
甘いものが大好きで、何時も食べているブレイクの好きな飴。
そう、思ったら甘い筈の飴が、何故か切なくて少しだけ苦く感じた。
『私は後一年保たないでしょうネェ……』
以前、オズに言った言葉。
そんなことを、彼は事も無げに軽く言う。
何気なく過ごす時の中でも、時間は確実に彼を死の淵へと誘っている。
ブレイクがどれだけ生きてきたのかオレは知らない。
後、どれだけ生きていけるのか。
いや……オレはブレイクの事を何一つ知りはしない。
あいつは自分の事を何も言わないから。
どれだけ傍にいても……
だから、オレは祈るしか出来ない。
あの日、差し出された手を取った、この手を合わせ……今は祈ることしか。
少しでも長く彼の傍にいられる事を。
少しでも長く彼の命が長らえる事を。
そして、彼が背負っている苦しみから解放されることを。
9.5